川上貞奴の別荘「萬松園」
女性会の「見学会」で、ロダン、ドビュッシー、ジイド、ピカソ…西洋を魅了した日本初の女優「川上貞奴」が晩年に建てた「萬松園」を訪ねました。
「萬松園」は木曽川に面した広大な庭に茶室を備え、敷地面積1000坪、建坪150坪で26室が連なる大邸宅。
近代数寄屋造に一部は書院造、また、全体は寝殿造の様相が見られます。
それぞれの部屋は「源氏物語」になぞらえた意匠が施され、貞奴の感性の高さを伺うことが出来ます。
「縁座敷」「桐の間」へと繋がる畳廊下は檜皮葺の化粧屋根裏
「梅枝の間」の杉戸 荘子の「胡蝶の夢」をテーマにした賢人と唐子の絵が描かれている
「藤袴の間」ガラス戸には雷文、上のガラス窓には羅漢竹で氷が割れる様の意匠
「桐の間」「木曽桃山飛泉」と銘のある6面の襖絵が圧巻
「桐野間」三畳の畳床があり、天井が高く広々とした大書院
「御法の間」天井には天女が描かれ、一人は紅蓮の花籠を持ち、一人は「迦陵頻伽」の姿
「茅葺の洋間」
「貞奴」の簡単な生い立ち
⁂貞奴は明治4年(1871年)東京・日本橋に生まれ、7歳で置屋「浜田屋」可免の養女に~可免に大切に育てられた貞奴はその美貌と日舞の技芸に秀で才色兼備の誉れ高く、時の総理伊藤博文や西園寺公望などの名だたる元勲から贔屓にされ、名実ともに日本一の芸妓になる。
⁂23歳で俳優の川上音二郎と結婚し、劇団一座とアメリカ興行を敢行。
イギリスからパリ万博公園を目指し、ヨーロッパの名だたる芸術家たちを魅了。
仏政府からオフィシェ・ダ・アカデミー勲章を授与され「日本初の女優」が誕生。
⁂40歳で音二郎と死別後、木曽川の水力発電を進め電力王と言われた福沢桃介(福沢諭吉の娘婿)の中部地区の近代化事業を支えるために「二葉館」を建て、名古屋に移り住む。
⁂昭和8年(1933年)62歳、貞奴は木曽川沿いの鵜沼の地に「萬松園」と「貞照寺」を構える。「萬松園」は、大変、豪奢な別荘で、2018年に国の重要文化財に指定されました。