唐招提寺
久しぶりに唐招提寺を訪ねました。
この時季、蒸し暑くてマスクを着用していると息苦しくなりますが、人がいない所では外しての参拝です。
緑がとても綺麗で、清々しい気持ちになりました。
唐招提寺:688年に中国揚州で誕生した鑑真和上は14歳の時、揚州の大雲寺で出家
742年日本からの熱心な招きに応じ渡日を決意 しかし、当時の航海は極めて厳しいもので、5度の失敗を重ね盲目の身に 742年12月6度目の航海で遂に来朝
東大寺で5年過ごされたのち、758年大和上の称号を賜り、759年8月戒律の専修道場を創建 これが現在の律宗総本山唐招提寺のはじまりです
金堂: 国宝 奈良時代(8世紀後半)寄棟作り 本瓦葺
内陣には像高3メートルに及ぶ廬舎那仏(るしゃなぶつ)を中央に巨大な三尊(乾漆造り)国宝が居並ぶ
本尊・廬舎那仏坐像(大仏)は宇宙の中心、釈迦の本地仏として中尊に、その東方に現世の苦悩を救済する薬師如来立像、西方に理想の未来へ導く十一面千手観音菩薩立像が配されています
本尊の脇士には等身の帝釈天立像(木造・国宝)が従い、須弥壇四隅には四天王立像(木造・国宝)が諸尊を守護しています
南大門の扁額
僧となるための授戒が行われる場所 創建時に築かれたとされているが、中世に廃され、その後再興されたものの焼失
三段の石段のみが残り、その上に昭和53年にインド・サンチーの古墳を模した宝塔が築かれた
講堂:国宝・奈良時代(8世紀後半)入母屋造・本瓦葺
和上が当寺を開創するにあたり平城宮東朝集殿を朝廷より賜り移築したもの
本尊弥勒如来坐像(鎌倉時代・木造・重要文化財)釈迦牟尼仏の後継で将来必ず如来として出現し法を説くとされている 通常は菩薩像ですが、本像は如来像として表現されている 金堂の三尊と合わせて顕教四仏となる古式で配列
鼓桜:国宝・鎌倉時代 楼造・入母屋造・本瓦葺
一階に和上将来の三千粒の仏舎利を安置しているところから「舎利殿」とも称される
開山堂:平成の御影像奉安所
元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立 その後1881年鑑真大和上のお像を安置するために現在の位置に移築
鑑真大和上身代り像が安置 開帳以外の日でも参拝できる
宝蔵:国宝・奈良時代(8世紀) 校倉・寄棟造・本瓦葺
隣接する経蔵ともに唐招提寺が創建される前にあった新田部親王邸の米倉を改造したものと言われ、日本最古の校倉
ゆっくりお寺を訪ねるのも良いですね