ギャラリーNOZU

日々の出来事を紹介します

約190年前の古民家を新潟より愛知県瀬戸市に移築再生して開設しました。 陶芸やガラス工芸、染色や織りなどの作品の展示を開催します。 名鉄尾張瀬戸駅から徒歩10分。 近くには瀬戸市美術館、瀬戸市文化センター、新世紀工芸館、瀬戸蔵などがあります。 駐車場は市営駐車場をご利用ください。(1時間無料でその後は1時間ごとに100円) 尚、「ギャラリーNOZU」の詳細につきましてはリンク「ギャラリーNOZUのご案内」や「ギャラリーNOZUの催事の様子」をご覧下さい。

歴史散歩「知覧」




  鹿児島を南下して指宿に宿泊し、「知覧」を訪ねました。


 鹿児島では「霧島茶」や「知覧茶」が有名です。
車窓から茶畑をよく目にします。
また、「ソラマメ」が収穫期のためか沿道でも販売~
サツマイモやニンジンなどの野菜や柑橘類も大袋で売られています。

 残念です 
 
 空のスーツケースを持ってこれば良かった~(つい主婦目線になって~)

開聞岳の雄姿を眺めつつ、車を走らせました。(娘の運転ですが~)

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            薩摩富士といわれる「開聞岳



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          瀬平自然公園から眺めた「開聞岳
    今にも雨が落ちて来そうな天気でしたが、とても綺麗な景色です



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              知覧の茶畑
        (宿での抹茶が地元愛知の西尾産~



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          指宿の宿でいただいた抹茶 
         とても美味しく頂きました~
         お菓子は「ソラマメの羊羹」
         抹茶は何と「愛知の西尾」
         知覧ではなかったのでビックリしました~




知覧特攻平和会館」へは真っ直ぐで戦時中は滑走路ではと思われる道を走りましたが、沿道には献燈の石灯篭がたくさん並んでいます。


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陸軍飛行学校が教導飛行師団と改められるのに合わせて、1945年(昭和20年)2月に太刀洗飛行学校は第51航空師団と改称。
知覧分校は第6航空軍に隷属する「第7飛行団」となり、知覧特攻基地が誕生。
振武隊(しんぶたい)と名付けられた特攻隊が出撃することになった。

沖縄戦が始まった4月1日より第20振武隊を皮切りに知覧からの特攻出撃が始まり、
6月25日沖縄戦での組織的戦闘が終了(沖縄敗戦)とともに知覧もその役目を終るかに見えたが、米軍の日本本土上陸が間近に迫っており、知覧飛行場は本土防衛の最前線となって、8月15日の終戦まで続いた。


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             知覧特攻平和会館
旧陸軍特攻基地跡に建てられた知覧特攻平和会館
1036名の特攻隊員たちの遺影や遺品など貴重な資料が展示してあります
語り部」の方から出撃前の隊員たちの様子などを聞くことができ、家族に宛てた手紙などを見て涙しました。
平和や命の尊さを改めて感じ、多くの若き特攻隊員の冥福を祈りました。


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              三角兵舎
       特攻隊員が出撃する前の数日を過ごした兵舎
特攻機には一人で沖縄戦線に臨む。勤労奉仕の女学生が作った小さな人形を持っての出撃と聞きました。どんな思いだったのでしょうか~



最後に「知覧の武家屋敷」を訪ねました。
約260年余り前、知覧領主(18代)島津久峰時代の武士小路区割の名残りで、武家屋敷通りと屋敷庭園が保存されている風致地区


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          昼間ですが、誰一人としていない風景です




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折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と生垣から景観が優れている。
江戸時代薩摩藩は領地を外域とよばれる102の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓とよばれる武家集落を作り、武士団を結集させることなく分散して統治にあたらせた。知覧もその一つである。




 いろんな処を巡りましたが、知らないことが沢山ありました。

 とても良い旅ができました。

 案内役の娘は鹿児島の名物をもっと紹介したかったと言っています。

 これは次回の楽しみにしたいと思います。